傳統的な日本の教養(短歌・俳句・漢詩的なもの)
と
現代的な日本の教養(特にゲーム的なもの)の統一
あるいは
全世界同時進行であり地球規模の空間的な普遍性をもつ
現代的な日本の教養(特にゲーム的なもの)
と
日本列島に數千年・數百年と蓄積され時間的な普遍性をもつ
傳統的な日本の教養(短歌・俳句・漢詩的なもの)の統一
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吉本隆明 <「団塊の世代」から少し下の世代以降の詩人は理解不能(「無」)>
(例えば…吉本隆明『日本語のゆくえ』知恵の森文庫、2012.より)
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【教養の断絶】を挟んだ両側から同じことを言っているのではないか?
↓
藤田直哉 <50代前後以上の世代から「ゲーム文化」はほぼ無視されている>
(IGN JAPANの連載「SF史に残る(べき)ゲームたち」特別座談会、2019.より)
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この、新舊世代間に横たはる【教養の断絶】は、日本社会をある危機に陥れるのではないか?という危機感がある一方、繩文時代からだと數千年・いわゆる短歌俳句的なものとしても千數百年の蓄積をもつ傳統的な日本の教養と、「日本発の作品がリアルタイムで海外の人々に受容されその影響を受けた海外の作品に日本人がまた影響を受ける…というようなことを物凄いスピードで展開し続けているゲーム文化」を含む現代的な日本の教養を、きちんと一つの地平に融合することができたら…、日本人は千変萬化する世界情勢の変化にいちいち右往左往する必要がなくなるほど、世界人類社会の中に一つの確固とした場所を占めることが出来るのではないか?と、私は思ふやうになりました。
<和歌(うた)の道 藝夢(ゲーム)の道の 相通ず 詩が遊びから 生まれるならば>
なぜか日本のマスコミでは全く話題にならなかった
2017GOTYの『ゼルダの伝説 BREATH OF THE WILD』
なぜか日本のマスコミでは全く話題にならなかった
2019GOTYの『隻狼 SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』
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