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地元・石見銀山エリアと九州の母校が觀音でつながる

地元の御寺が含まれた「石見銀山領三十三か所巡り」
地元の御寺が含まれた「石見銀山領三十三か所巡り」
今夏、恩ある地元僧侶の著作を中村元記念館に寄贈
今夏、恩ある地元僧侶の著作を中村元記念館に寄贈
九州母校の大先輩が翻訳されたサンスクリット訳『法華経』
九州母校の大先輩が翻訳されたサンスクリット訳『法華経』

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<観音謂来 巡礼謂来 巡礼十種徳 道法案内

石州銀山近里巡礼縁起

「具一切功徳慈眼視衆生
 福聚海無量是故応頂礼」
=『妙法蓮華経』「觀世音菩薩普門品第二十五」の一節
此文を唱て可礼拝

南無大慈大悲観世音菩薩
種々重罪五逆消滅自他平
等即身成仏
此文を唱て可打札>
…元禄六年=1693年に記されたとされるテキスト…
(『石見銀山領三十三か所巡り』桜江古文書を現代に活かす会、2019.より)

『妙法蓮華経』「觀世音菩薩普門品第二十五」の一節
「或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼觀音力 時悉不敢害
 若悪獣囲繞 利牙爪可怖 念彼觀音力 疾走無邊方
 蚖蛇及蝮蝎 氣毒煙火然 念彼觀音力 尋聲自回去」


相当する部分のサンスクリット原典訳

<たとえ、ヤクシャや、龍、アスラ、精霊、ラークシャサといった人の精気を奪い去るものたちに取り囲まれたとしても、”自在に観るもの”を念ずれば、それらは毛穴でさえも傷つけることはできないのだ。
 たとえ、鋭い牙と鉤爪(かぎづめ)を持つ非常に恐ろしい猛獣たちに取り囲まれたとしても、”自在に観るもの”を念ずれば、速やかにそれらの猛獣たちは四方八方のあらゆる方角に走り去るのだ。
 たとえ、燃え上がる炎のような光線を放つ、邪悪で、恐ろしい眼差しで人を毒する蛇によって取り囲まれたとしても、”自在に観るもの”を念ずれば、それらの蛇たちは、実に速やかに毒がなくなるのだ。>
…もとになった『梵漢和対照・現代語訳 法華経』は平成二十年=2008年に出版された…
(植木雅敏訳『サンスクリット原典現代語訳 法華経』下、岩波書店、2015.「第二十四章あらゆる方向に顔を向けた”自在に観るもの”の神変についての教説(観世音菩薩普門品第二十五)」より)

『妙法蓮華経』「觀世音菩薩普門品第二十五」の一節
「具一切功徳慈眼視衆生
 福聚海無量是故應頂禮」


相当する部分のサンスクリット原典訳

<あらゆる威徳の完成に達していて、あらゆる衆生に対する憐れみと慈しみの眼を持ち、威徳が人格化された存在であり、偉大なる威徳の大海である”自在に観るもの”に敬意を表するべきであります。
 世間の人々に対して憐れみ深いこの人は、未来の世においてブッダとなるでありましょう。私は、あらゆる苦しみ、恐怖、憂いを消滅させる”自在に観るもの”に対して敬礼します。>
…もとになった『梵漢和対照・現代語訳 法華経』は平成二十年=2008年に出版された…
(植木雅敏訳『サンスクリット原典現代語訳 法華経』下、岩波書店、2015.「第二十四章あらゆる方向に顔を向けた”自在に観るもの”の神変についての教説(観世音菩薩普門品第二十五)」より)

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 思ひがけず、地元の石見銀山エリアと母校のある福岡・九州とが、「觀音菩薩(觀世音菩薩)」によってつながりました。ただ、著作を読むと、翻訳者の植木雅敏先生は『法華經』のなかの「觀音經」の部分をあまり快く思っておられないようです。本来は極めて高度な思想をもつ『法華經』のなかに、後世の余計な付け足しにより「觀音經」という現世利益を願ふ程度の低い部分が混入してしまった…といふやうな。しかし、植木先生の師匠にあたる中村元先生は、こう述べておられます。「漢訳されなかったサンスクリット原文の部分(二八偈~三二偈)では、観世音菩薩と阿弥陀仏と、両方が讃えられているのです。観音信仰と阿弥陀信仰とは、決して対立するものではありません。」(中村元『法華経』現代語訳大乗仏典2、東京書籍、2003.)これは、日本では成立時点から対立関係にある「日蓮の日蓮宗(法華宗)」と「法然・親鸞の浄土宗・浄土真宗」の対立を念頭に、<サンスクリット原文『法華經』に依拠するならば両者の対立は融和可能なものである>と暗に示されたものだと、私は受け取りました。

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